Vol.22 野球コーチ留学:林 泰祐さん
戸畑高 → 関西大 → インディアナ州立大学
小学4年から大学まで野球に没頭。関西大卒業後、スポーツ大国アメリカのトレーニングを学ぶためにインディアナ州立大学へ留学。同校卒業後はテキサス州ヒューストンのトレーニング施設で主にMLB、NFL、女子サッカーのトレーニングを担当。アメリカの高校・大学野球のアシスタントコーチとしても活動し、日米の野球の違いを肌で感じる。現在は株式会社Dr.Trainingにて、ストレングス&コンディショニングコーチとして活躍中。パフォーマンスアップのみならず“一生ものの身体作り”を提供する。
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日本の野球を強くしたい その目標を達成すべくアメリカに渡った林泰祐さん。野球は辞めた時点で終わりではない。野球はどこまでもつながっていく。野球と林さんの強い思いが重なり合ってできた希少なストーリーをお聞きしました。
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志を貫くための一歩
小学4年生から始め、生活のほとんどを占めていた野球。大学卒業後は、英語の教員免許を取って高校野球の監督をしようと考えていました。しかし、そんな思いに変化をもたらす出来事が起こったのです。ケガをして大学のトレーナールームに行った時のこと。そこで私を待っていたのは、現在働いている会社の代表である山口元紀さんでした。アメリカ留学やトレーニングの話を聞くと、とにかく新鮮!私の中で電球が光るのを感じました。気になりだしたアメリカへの留学とトレーナーという仕事。その私を渡米へと導くひと押しは、大好きな岩村明憲選手がアメリカから帰国したことを含め、日本の野球が世界に太刀打ちできないと痛感した瞬間でした。日本の野球がもっと強くなるために動きたい、その思いが私を突き動かしたのでした。
底辺からのスタートだった英語
英語はもともと好きだったので、アメリカの大学に入学するために必要なTOEFLの点数は、余裕でクリアできるだろうと思っていました。しかし、大学4年の1月、そろそろ留学へ向けて本腰を入れようと思って受けたTOEFLの点数は、なんと7点!? 大学卒業後、福岡の実家へ戻り、英語漬けの毎日を過ごすこととなりました。食事と寝るとき以外は英語、英語……。しかし、スタートが7点という底辺だったので、伸び代が大きく、どんどん上達していくことが楽しくて仕方ありませんでした。父親は「留学してトレーナーになって、それで食べていけるのか」と心配していましたが、そこは「大丈夫!」と自信ありげに答えました。それ以外は「好きなことをすればいい」と言ってくれる両親だったので、有り難かったです。そんな両親の思いにも応えたい、英語教員免許を取ったのにそれを蹴ってまでアメリカへ行く、よい意味でのプレッシャーがモチベーションを上げてくれました。
パズルの1つ目のピースは母校から始まった
母校である戸畑高校・野球部の監督が「コーチとして練習に顔を出してみないか?」と声を掛けてくださいました。監督は、私が現役時代に指導を受けた監督ではありませんでしたが、つながりを大切にしてくださる方でした。週末にはグラウンドへ足を運ぶようになり、英語だけの毎日の中で息抜きができました。また、高校のコーチをしたこの経験が、アメリカ生活を形作るパズルのピースの1つ目になるとは、この時は思いもしませんでした。
いざ、アメリカへ!どん底の3日間から這い上がれたのは野球のおかげ
早々にやってきた転機
現地の大学では、関西大で取った88単位が認められ、一般教養科目は取らず専門科目だけ取ればいいと言われました。トランスファー(編入学)という形で始めることになり、最初はATCを目指す科目を専攻しました。しかし、早々と転機が訪れます。その助走は、日本とアメリカの練習の質の違いを感じるところから始まりました。日本はとにかく走って身体を作りますが、アメリカはウエイトトレーニングが中心。朝の6時からチームの選手たちがウエイトルームに集まり、トレーニングをする光景は衝撃としか言いようがありませんでした。その光景を見ていくうちに、自分の中でストレングスコーチになるということがくっきりとした形となっていったのです。そうなれば、大学の専攻を変えなくてはいけません。アカデミックアドバイザーと話をして、2学期から専攻を変えることが決まりました。もっと後になってからであれば、軌道を変えることは難しかったと思います。早い段階で決断できて、本当によかったです。
文武両立を確立する秘訣
アメリカは、文武両道を達成してこそという考え方です。私は高校時代に、勉強と野球の両方をする習慣がついていたので、すんなり受け入れることができました。しかし、勉強はすればするほど時間が足りません。あの頃の1日のスケジュールは、5時半に起床、6時15分からウエイトトレーニング、その後朝食または仮眠、授業を2、3コマ受けた後、14時から17時頃まで練習、寮に帰って夕食。そこから勉強を始めて0時に寝る。夜中2時まで勉強することも少なくありませんでしたが、それでも足りないと感じるほどでした。そんな中、私が心がけていたのは、授業の内容をいかに逃さないかということ。わらかないことはその場で聞く。そんなことできるの?と思うかもしれませんが、教授に自分のことを覚えてもらえばいいのです。私は、毎日教授のところへ質問をしに行っていました。わからない授業であればあるほど、教授に接しようと努めました。そのおかげで教授に覚えてもらい、授業をスムーズに受けることができたと思います。
日本人として稀な経験
大学卒業後は、マサチューセッツ州のトレーニング施設で2か月インターンをしました。その時のホストファミリーが、大学野球部にいた選手の叔母さんということで、ここでも偶然が重なりました。その後はヒューストンのDynamic Sports Trainingで8か月間のインターン。こちらの施設は、インターンでも経験者ということで即戦力として扱ってくれ、メジャーリーガーとマイナーリーガーを中心に指導をしていました。また、コーチ陣のレベルの高いパフォーマンスを見ることができたのは、大変勉強になりました。帰国後は、アメリカに行くという道を気づかせてくれた人、山口さんを訪ね、今に至っています。
ここでヒューストン時代の出来事を話したいと思います。
私にとっては、英語というより野球が共通言語。野球があるからこそ、アメリカで生活していくことができ、その生活は楽しくてしかたありませんでした。「野球のおかげ」そんな思いを感じていた頃、さらに野球が導いてくれる出来事が起こりました。私の働いているジムは高校の敷地内にあったのですが、その高校の野球部のヘッドコーチが、野球を解剖学的や運動生理学的に考える方で、とても興味深く感じていました。ある日、そのコーチから「日本の野球を教えてよ」と、突然のオーダーがやってきました。私の思うところを話したり見せたりしてみると、その場で「アシスタントコーチをやってくれ」と言うのです!
まずは、トレーニングコーチとしてチームづくりから始まり、シーズン中は1塁コーチャーを任されました。相手ピッチャーの配球を読み、盗塁のサインを出すのが役目です。この話をすると「日本人でコーチとしてボックスに立った人も珍しい」と言われます。確かに稀な経験をさせてもらったと思います。選手たちも日本の野球を吸収しようとしてくれ、バントやエンドラン、右打ちなど、私もできる限り日本の野球を伝えました。その成果なのか、スクイズでサヨナラ勝ちをした試合があったほどです。コーチとして、円陣を組んだ時の声掛けが難しかったのですが、端的に言おうと心掛けました。シンプルな言葉でも通じるもので、次第に選手たちが慕ってくれるようになっていました。ヘッドコーチのもとで野球に関われたことは、私の価値観を変え、今のストレングス・コンディショニングコーチとしてのあり方にもつながっています。
留学を考えている皆さんへ
留学した方が口をそろえて言うことだと思うのですが、悩んでいるならとにかく行ってみることです。もちろんくじけそうになることもあると思います。でも、自分の中にぶれない何かが1つあれば、大丈夫!私は、野球をはじめ、日本のスポーツのレベルを上げたいという思いがありました。この思いは留学前からぶれることなく、持ち続けています。2つ目は常に学ぶ姿勢でいること。わらないことをうやむやにしたり知ったかぶりをしたりせず、誰かに聞いてみるのです。留学生とわかれば、きっと親切にしてくれます。アメリカ人は、話好きでフレンドリー。歩み寄れば受け入れてくれます。そして、3つ目はプランニングをしっかりしておくこと。私は行き当たりばったりだったと、今振り返ってみて感じています。アメリカ生活というパズルのピースたちが運よくみつかり、上手くはまったからよかったものの、もしそうでなければ八方ふさがりになっていたと思います。プランニングといっても難しく考える必要はありません。行きたい学校をよく調べることから始めてみてください。学校選びは、有名校だからでもいいし、プログラムが特化しているからというのでもいい。あとは置かれた環境で切り替えて進んでいく適応力があれば、大丈夫です!
私自身の今後の目標は、自分の知識を活かして、日本のスポーツ界のレベルをもっと上げていきたいと考えています。そのためには、もちろん自分を成長させることも必要です。例えて言うなら、クリスマスツリー。土台となる幹や枝、葉を持つ木は変わらないけど、そこにつける飾りは取り外しも変更も可能。自分の軸となる信念は決して変わることはないけれど、状況に応じて柔軟に対応していき、また新たな技術や知識も身につけていきたいです!
【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)