Vol.25 バスケットボール留学:綾部 舞さん
筑紫女子学園高 - University of Hawaii(米国大学)
女子バスケ選手として、海外・ハワイ大学で活躍した綾部 舞さん。先陣を切って女子バスケ界の新しい領域を切り開こうとする綾部さんに、力強いお話をお聞きしました。
バスケとラグビーの二刀流
バスケットボールを始めたのは小学2年生の時。姉が小学校のバスケチームに入っており、共働きだった両親は、姉と一緒に学校から帰らせたいという思いで、私を姉と同じチームに入れたのがきっかけでした。その頃、私は幼稚園から始めたラグビーにのめり込んでいて、バスケとラグビーを両立していました。こうして二刀流選手として活動をしていましたが、中学ではラグビーのために部活を抜けることができなくなり、バスケットボールに専念することに。その頃、周りからバスケットボール選手として認められ始めた私は、バスケのおもしろさに魅せられていきました。バスケとラグビーは似ているところがあり、中学まで両方を続けてきてよかったと思っています。
海外へ向かう気持ち
高3になり、大学進学について考え出した私は、自由を求めアメリカの大学に挑戦したいという気持ちが芽生えました。そんなおぼろげな気持ちを確かな形にしてくれたのは、すでに留学を決めていたチームメイト2人でした。彼女たちの選択に背中を押され、私も「留学したい」「アメリカに行きたい」という気持ちが固まりました。早速、両親に相談し、留学先は親戚が住んでいるハワイに決定。今なら情報収集の方法はいくらでもあると思うのですが、当時、高校生の私にはそのような術も環境もありませんでした。そんな中、私が唯一これだけは譲れないというルールがありました。それは、ルームメイトは日本人以外であるということ。もちろん海外の地で日本人の友人も大切なのですが、何が何でも英語を使わなければならない環境に身を置くため、自分に課したルールでした。こう言うと何だか大変そうに思えるかもしれませんが、ルームメイトとはお互いに伝え合おうと努力し、その結果、英語力がのびました。今振り返っても、楽しい時間だったなあと思います。
ストリートで男性を相手にしていたこともあり、女性の中で目立つ存在となっていた私は、ある日、ゲームに出場した際、レフリーの目に留まり声をかけられました。「君は四大でプレーするべきだよ」と。レフリーの紹介でサマーリーグに参加し、2か月ほど活動しました。そんな中、ハワイ大学のコーチに声をかけられ、トライアウトへの参加を認めてもうらことができたのです。
部活と勉強の両立
ハワイ大学に入ってからは、部活と勉強の両立が求められました。アメリカでは当たり前のことで、チームにはアカデミックアドバイザーがついて、宿題のヘルプや成績の管理をしてくれていました。さらに、学生生活を支えてくれるチューターもいて、環境に恵まれていたと思います。チームメイトが集まって一緒に勉強する時間が確保されていましたが、部活と勉強を両立できない選手はプレーをさせてもらえなくなるので、皆が一生懸命取り組んでいました。
ハワイ大ならではのエピソードがあります。バスケットボールのシーズン中は、ハワイ大の選手たちは飛行機で遠征に行くことが増え、学校に行けたのは、学期中2日間のみなんてことも。アカデミックアドバイザーがテストを持って来て、遠征先で受けるということもありました。バスケットボールも勉強も充実していた留学生活、仲間に恵まれたこともあり、ホームシックにかかることもなく、楽しく過ごしました。
大学卒業後は帰国し、バスケットボールを続けたい一心でチームに履歴書を送りました。しかし、返事はありませんでした。女子リーグのベスト16に入ったチームの選手しかリクルートしないような風潮で、選手を続けることの難しさを痛感しました。
私自身は、日本の女子バスケ界をもっと風通しのよいものに変えていきたいと考えています。日本の女子リーグは、外国人選手をチームに入れることもできず、世界を舞台に考えると、少し遅れていると感じます。でも、1つ言えるのは、男子より女子のほうが世界に羽ばたくチャンスが大きいということ。アメリカ人と日本人を比べると、男子より女子のほうが身体能力の差が少ないからです。可能性を秘めている女子バスケ選手の留学を支援していきたい。そして、女子バスケリーグの発展に貢献するのが、これからの目標です!
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