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2020年3月27日 (金)

Vol.24 トレーナー留学:大村 夕香里さん

茅ヶ崎高-Alderson-Broaddus College(米国大学)-California University of Pennsylvania(米国大学院)

Oshima6 米国大学ではスポーツ医学とビジネスを学び、米国大学院ではアスレティックトレーニングの修士課程を修了。大学院卒業後、Morgan State University(米ボルチモア)でアシスタントアスレティックトレーナーとして、主にアメフトや陸上選手のスポーツ障害やリハビリ処置などに従事。その後、Coppin State Universty(米ボルチモア)ではヘッドトレーナーとして、主に男女バスケットボール部をサポート。4年間のアメリカ生活を経て帰国し、現在は専門学校講師や一流スポーツ選手の英会話講師として活躍中。


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ある時出会った「スポーツ医学」という学問。大村夕香里さんは自分の進む道はここしかないと、強い信念を持ってアメリカに渡りました。日本人だからこそぶつかった壁、日本人だからこそ乗り越えられた壁、そして何よりアメリカの地で確立した自分。海外での就業経験者の中でもめずらしいキャリアを持つ大村さんにお話を伺いました。


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明確な目標を持って

小学生からソフトボールを始めた私は、思い描く自分像がありました。それは「ケガをした時に自分自身でテーピングする人」。そうなるためには、看護師なのか別の医療系職種なのか、進む道を模索していました。こうして高校卒業後の進路を決める時がやって来ました。専門学校や大学などを様々な学校を調べてみましたが、ピンと来るものはありません。そんな時、アメリカの大学に「スポーツ医学」という専攻があることを知り、これこそが自分のやりたいことに直結すると感じたのです。

日本の入試システムに疑問を持っていたこともあり、アメリカに行きたい気持ちが強くなっていきました。実は、高校時代にも、アメリカへの交換留学を試みたことがありました。実際に渡米もしたのですが、1か月で帰国。現地で「英語力に問題がある」と言われ、高校に入ることができなかったのです。その苦い経験から高校卒業後は、日本で留学準備のために専門学校へ進学しました。英語は得意科目ではありませんでしたが、「英語さえクリアすれば、自分の目指すスポーツ医学を学ぶことができる!」と考えていました。専門学校の授業は英語で行われるため実力が身につき、TOEFLの点数も随分上がりました。そして、TOEFL6回目の挑戦で、志望校の基準点に到達することができました。両親は高校時代に起こった交換留学のトラブルから少し心配はしていたものの、母は自由奔放な私のことを考えて、アメリカ行きを肯定してくれました。



望んだ環境を手に入れた時

Oshima3 私の進んだ大学はほとんど日本人がいない環境でした。アカデミックアドバイザーは、スポーツ医学を専攻する初の日本人に対し、どのように対応すればよいのか、戸惑っていたようです。さらに先輩からも「スポーツ医学は難しいから、おすすめできない」と言われていましたが、私の気持ちは変わりませんでした。

渡米当時の私は、シャイでまじめな日本人として、周囲の目に映っていたことでしょう。大学1、2年の頃は、英語で医学用語が飛び交う中、必死で勉強していました。マイノリティな存在である日本人として心配されていましたが、成績も良く、認められるようになっていました。3年生になると、まさに自分がやりたかったことを学べているのだと実感でき、学ぶことが楽しくて仕方がありませんでした。そして、4年生になり進路を決める時期が来ました。周りには高校の教師になる学生が多く、アスレティックトレーナーを目指しているのは私一人でした。そんな環境の中、アスレティックトレーナーに関する情報量が少なく、もう少し時間がほしいという気持ちから、大学院を視野に入れました。すでに4年生の12月になっていましたが、教授のアドバイスもあり、無事に大学院に進むことができました。私を待っていたのは、刺激的な日々。中にはすでにATCの資格を取得している学生もいましたし、皆で教え合って学ぶ、まさに切磋琢磨でした。


アスレティックトレーナーとして

Oshima1 こうしてあっという間に1年が過ぎました。アスレティックトレーナーの資格試験を受けるものの、数点足りずに不合格。インターンをしながら次の試験に備えましたが、皆が合格していく中で、自分だけ受からないという悔しさがありました。

大学在学中、3回目の挑戦でアスレティックトレーナーの試験に合格し、学内のアシスタントアスレティックトレーナーとして、アメフト選手や陸上選手のスポーツ障害やリハビリ処置などに従事しました。そこは、多人種が集まり自己主張が強いコニュニティー。これまで見たことのない世界を見ることができました。日本人というだけで拒否されることもありましたが、自分を唯一採用してくれた場所だったので「ここで何が何でも頑張る」という強い思いを持っていました。

そんなある日、隣の大学でアスレティックトレーナーを探しているとの情報を得ました。面接を受けると「日本人はよく働くから」と言われて採用が決定。その大学ではアスレティックトレーナーが続けて辞めてしまったため、採用者からヘッドトレーナーを選ぶということになっていたのです。こうしてあれよあれよと、私がヘッドトレーナーに。メンバーたちの管理はもちろん、コーチからのクレームを受けて調整する役目となり、マネジメント力が求められました。年配のトレーナーとぶつかり合いながら働くのは難しかったですが、先の3年間の経験が役に立ちました。ここでも常に「働かせてくれた。その分を返したい」という気持ちで闘いのような毎日を乗り越えていきました。

 

アスレティックトレーナーを目指して留学を考えている皆さんへ

Oshima2 アメリカは受け入れてくれる器が大きい国です。そんな中で誰に出会うかが大事。私は日本人が集まるところに参加し人脈をつくるのは苦手でしたが、本音で話せる友人・知人と出会え、ヘッドトレーナーとして人と接していると、人間力を育てることができました。私はすべてにおいて先入観がなかったことが功を奏したのだと思います。

皆さん自身にやりたいことがあるなら、損得を考えずに進むほうがよいと思います。私がアメリカにいた頃とは違って、今はどこにでも日本人がいます。流されないように自分をしっかり持つこと。とはいえ、何より大事なのは人との出会い、一期一会です。良い人に出会えたのなら、良いところを吸収していけるようになれればいいと思います。

アメリカに行くと、日本ではできない経験ができます。ただ、それを日本に持ち帰るだけではうまく行かないことがあるかもしれません。そこで、自分が良いと思うことを日本のトレーナー界で調和させられるように、工夫する対応力を養ってほしいと思います。また、アスレティックトレーナーとして可能性を広げるためには、加えて教師の免許を取ることをおすすめします。どこで働くのか、海外なのか日本なのかは、早めに決めたほうがよいでしょう。先々、自分がどのようなアスレティックトレーナーになるのか考えて行動していくことが、何より重要な準備ですよ!

【取材・文】金木有香
【運営】株式会社インディッグ

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