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2016年8月 3日 (水)

Vol.20 ソフトボール留学:五十川智美さん

とわの森三愛高 → 早稲田大 → ニュージーランド・HVセインツ

P2歳からのスピードスケートを始め、小学生から中学生までスケート競技を9年間続け日本代表選手にも選出される。小学6年時には陸上大会(800m)、中学生からはソフトボールも同時にプレーし、名門・とわの森三愛高校では主将を務め国体3位/インハイ3位の輝かしい成績を残す。早大時代にもチームの中心選手として関東大会選手権2連覇、社会人チーム時代は国体3年連続出場を達成。ニュージーランド時代はリーグ戦で打率.450の高打率で見事MVPを獲得。現在は競技者としての挑戦を続ける一方で、スポーツと一生向き合っている環境作り、ジュニア育成に注力している。北海道十勝音更町出身。


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大学時代まで打ち込み続けたソフトボールを、就職を機に一度は離れようとした五十川さん。しかし、ソフトボールと自分は切り離せない、と夢を追いかけてニュージーランドへ渡りました。日本とニュージーランドを経験した五十川さんのソフトボール愛にあふれる貴重なお話をお聞きしました。
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切っても切れないソフトボールへの思い

全国1位を目指して、ソフトボールに全力を尽くした大学時代。結果は3位でした。それを受けて卒業後は「もう、ソフトボールから離れよう。ソフトボールのない生活をしよう」と心に決めました。東京から地元・北海道に戻り、病院に就職。しかし、一度はソフトボールから離れたものの、気づけば、誘っていただいたクラブチームでソフトボールをしていました。朝から晩まで仕事をした後や週末にするソフトボールは、何よりもの息抜き。やっぱり私の生活には、ソフトボールは欠かせないものでした。

私を変えてくれたソフトボール

1病院勤務の3年間、再び携わったソフトボールが私を変えてくれました。自分にできることは、選手としてだけではない。指導者としてもスポーツやソフトボールを通じて社会に貢献できるのではないか、と考えるようになったのです。そこで「できることはまだまだある。夢をあきらめるのは、まだ早い」と、私の挑戦心をかきたてたのが、ニュージーランドへの留学でした。

大学時代は海外へ行こうと思ったことはなかったので、まずは、情報収集から準備を始めました。そして、肝心の英語はというと……、かなり苦手。これまでスポーツに打ち込んできたため、しっかりと勉強をしたことがありませんでした。基礎からやり直しです。こうした期間を経て、ある程度渡航の準備が整ったとき、ようやく両親に話をしました。「ニュージーランドへ単身ソフトボール留学をするなんて」と最初は驚いていましたが、私が自分で決めたことは何を言っても止めることはできないと知っている父と母。「頑張っておいで」と送り出してくれました。


いざ!ニュージーランドへ

3ニュージーランドへは、ワーキングホリデーのビザを取得して渡航しました。第一印象は、スポーツや運動が好きな人が多い!ということでした。街中で走っている人、エクササイズをしている人がたくさんいて、テンションが上がりました。ただ、物価の高さが困りもの。コーラ1本500円という感覚にはまいりました。また、小腹が空いたときに「ちょっと食べたいな」と思っても、日本のおにぎりみたいな軽食がありません。食べるならしっかり食べるというメニューしかなかったのも、文化の違いを感じた点でした。しかし、ほとんど英語ができず「とりあえず行ってみよう!」という状態で渡航した私を支えてくれたのは、何よりもニュージーランドの人のやさしさでした。道を尋ねると、ただ説明をするだけでなく、現地まで一緒に行ってくれたり、銀行での手続きも親切に対応してくれたりしました。

ソフトボールにおける日本とニュージーランドの違い

海外でソフトボールをして感じたことは、日本は世界で最高レベルだということ。技術で日本に及ぶ国はないと自信を持つことができました。しかし、その技術に達してはいませんが、ニュージーランドのソフトボールパワーには衝撃を受けました。日本は技術を教えられてこそですが、ニュージーランドの若い世代は、その技術を教えてもらうこともないのに、必死でボールに食らいついたりヘッドスライディングをしたりしているのです。メンタルの強さと筋力の高さには脱帽でした。これに技術が加われば、大きく変わるのではないかと思います。


言葉の壁を乗り越えて

2こうしたニュージーランドのパワーに日々触れながら、1年間の生活を終えました。チームに日本人は私一人。ソフトボールをしているとき、日本語は一切使いませんでした。振り返ってみると、やはり、最初は言葉の壁が高かったなと思います。コーチやチームメイトの言葉をすべて理解することができなくて、申し訳ないという気持ちで一杯でした。言ってくれた言葉に対して、自分ももっと返すことできれば……ともどかしさがつのりました。半年ほどが過ぎ、言いたいことを頭で整理してから話すようにすると、徐々に馴染むことができました。コンプレックスを持っていた英語を、もっと勉強したいと思うようになったほどです。

ニュージーランドが教えてくれたこと

メンタルの面では、ニュージーランドの選手から多くのことを学びました。それは「すべてを楽しむ」ということ。たとえば、これまでの私の場合、試合で1打席目、2打席目がダメで、3打席目に打ったとしても、「1打席目から結果を出さなくてはいけなかった」と思っていました。さらに、チーム内にも「あそこで打っていたらこんな展開にはならなかったのに」という雰囲気が流れます。でも、ニュージーランドの選手は、それまでの結果や展開がどうであれ「打ったものは打ったからいいでしょ!成功は成功!」と言うのです。そして、チームメイトも一緒に喜ぶ。これこそが選手にとって必要なメンタルであり、チームのあるべき姿だと思いました。こうした気持ちや雰囲気が次の試合によいふうにつながっていく。私はこれを「ニュージーランドマインド」と呼んでいます!

これから海外を目指す皆さんへ

4最初は「行きたい!」という気持ちが前面に出て「楽しみ」が先行すると思います。それからさまざまなことを調べていくうちに、いつの間にか「不安8割、楽しみ2割」という気持ちになるのではないでしょうか。でも、実際に現地に行くと、また、数字が逆転します。不安を乗り越えて挑戦すれば、きっとうまくいくはず!留学を迷っているなら、ぜひ、実行にうつしてほしい。なぜなら、人生が変わるから。もちろん変えるのは自分なのですが、たくさんのきっかけをもらうことができる。人生の勉強だと思って、挑戦してください。

私自身は、ソフトボールや日本というくくりにとらわれるのではなく、スポーツ全体をグローバルな視点で見ていきたいと思っています。また、選手としてだけではなく、指導やコーチングも行っていくつもりです。今はソフトボール人口が減っているのが現状。しかし、高い位置にのぼれないのならやらないという思考ではなく、ソフトボールがしたいという気持ちを大切に、もっと広い視点で考えられるソフトボール界にしていきたいと考えています。

【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)

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