Vol.16 大学野球留学:岡野 智紀さん
広島城北高→ノース・グリーンビル大
日本人メジャーリーガーのパイオニア・野茂投手の活躍に魅了され、高校卒業後にアメリカ大学野球留学を決意。大学硬式野球部では、投手として活躍し、スポーツマネジメント学位を取得。卒業後はニューヨークのスポーツアカデミー会社に6年間勤務し、現地の子供たちに日米の野球理論を交え指導に従事。帰国後、コンサルティング会社を経て、ベースボールコニュニケーションに入社。
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中学生のときに持ったアメリカへの憧れ。時が経つほど強くなり、憧れから目標へと変わっていきました。思いを成し遂げるためなら、壁が立ちふさがっても、後戻りはしない。いくつかの困難を乗り越えて、憧れを現実にした岡野智紀さんのお話をお聞きしました。
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野茂選手のピッチングに魅せられて
あれは、中学生のときでした。テレビで観ていたメジャーリーグの試合で、当時、ドジャースでプレーしていた野茂英雄選手がノーヒットノーランを達成したのです。日本人が世界に通用している、アメリカの野球ってどんな世界なんだろう、と心が揺さぶられました。それまでアメリカへの興味はなく、日本で野球を続け、高校では甲子園、その後はプロを目指すものだと思っていました。野茂選手がノーヒットノーランを達成したこの日、私の野球人生にとって、大きな分岐点となったのです。
「反対」という壁を乗り越えて実現したアメリカ留学
高校時代は、甲子園を目指し、卒業後はアメリカに行きたいと思っていました。ただ、この思いは自分の心の中だけにあり、なかなか両親に話すことができませんでした。持ち続けてきたアメリカへの思いを話したのは、卒業間近の高校3年の2月。予想はしていましたが、大反対されました。「環境も言葉も違う場所へ行って何ができるんだ」と。まだこの時点では、私の持っているアメリカへの思いがうまく伝わっておらず、「日本の大学へ行きなさい」の一辺倒でした。しかし、ここであきらめてしまっては、これから先ずっとアメリカにはいけないだろう、日本で野球を続けることでアメリカ行きを断念してしまうのではないかと考え、説得を始めました。
私が話したのは、「4年」という時間がほしい、期間を決めてメジャーを目指す、それでだめなら日本に帰って勉強するから、ということでした。説得には時間がかかりました。しかし、私も頑固な性格。それを知ってか、最終的に父が「そこまで言うなら、やれるだけやってこい」と言ってくれたのです。私を信じてアメリカ行きを許してくれた両親を安心させるためには、まずは、現地の大学へ入らなくていけません。行くと決めたからには、死に物狂いで英語を勉強しました。塾へは通わず、独学で1日10時間。アメリカで挑戦したいという気持ちが、私を奮い立たせてくれました。
野球ができない!
高校卒業後の6月に渡米。最初の3ヶ月間は、語学学校に通いました。TOEFL500点をクリアし、9月には大学へ入学。「大学に入って野球をする」という目標があったので、頑張れました。しかし、ここで思いもよらぬことが。いよいよアメリカで野球をする日がやってきた、と意気揚々としたのも束の間、チームに入ることができないのです。大学に入ればチームにも入れるものだと思っていたのが、認識違いでした。これまで当たり前のようにしてきた野球ができない。これほどもどかしいことがあるのかと思いましたが、とにかく今やれることをやろうと、一人でトレーニングとランニングを続けていました。やはり、時にはくじけそうにもなりましたが、チームの練習を見に行き、「何かできることはないか」と、コーチにアピールもしました。そして、チームの選手たちが練習している横で、壁当てをしてピッチングを披露。誰も声を掛けてくれることはありませんでしたが、球場に行くと、本当に心が晴れました。「こんな場所で毎日野球ができるんだ」と、ワクワクした気持ちが今でも忘れられません。また、英語さえ鍛えておけば、チャンスは巡ってくるだろうと思い、勉強のほうも気を抜かずに取り組みました。結果、成績はオールAに。とにかくできる限りのことを、毎日コツコツと続けていました。
おとずれた転機
大学2年になり、転機がやってきました。サマ―リーグに参加し、アメリカでの野球が始動。ようやくスタートラインに立ち「やっと野球ができるんだ!」と、この時ばかりは涙が出ました。しかし、これまでチームに入っていなかった自分は、そう簡単には試合に出ることはできません。救いだったのは、コーチが「日本人の選手、好きなんだよ」と声を掛けてくれたこと。元メジャー選手で、人柄のよいコーチでした。そんな中、リーグが始まって10試合目、3-2で負けているところで突然、コーチが「お前いくよ」と。驚いている間もなく、ピッチング練習も存分にできていないまま、マウンドへ。その場の準備はできていなかったものの、これまでの地道なトレーニングが実を結んだのか、三者三振に。日本にいる時、球は速いほうではありませんでしたが、この時点では145キロ出るようになっていました。「アイツやるな」と、周りからの評価もグッと上がり、試合を観ていた大学チームのコーチから「全額奨学金を出すからうちに来ないか」と、オファーがありました。これで親にも負担をかけなくてすむ。試合後に電話をすると、喜んでくれました。壁にぶつかりながらもくじけずやってきてよかった、と心から思った瞬間でした。
自分を見失いそうなときは原点に戻って
サマ―リーグ後、独立リーグからもオファーがきたのですが、迷った末、勉強もしたいしする必要があると思い、大学で野球をすることに決めました。熱心に誘ってくれたコーチがいる大学へ転校。周りは自然にあふれ、車もほとんど通らないような所でした。もちろん日本人がいるはずもなく、まだまだ野球英語がわからずに、思うようにコミュニケーションが取れない毎日。勉強も野球も中途半端になっている気がして、ストレスを感じていました。そんな自分を奮い立たせてくれたのは、アメリカへ渡るきっかけとなった野茂選手の映像。なぜ自分はここにいるのだろう、そんな原点を思い出させてくれました。迷っていても仕方がない、チームメイトと仲良くならなければ、何も始まらないと考え、できるだけこちらから話しかけるようにしました。そうすると、チームメイトたちが知っている日本語を使ってギャグにしてくれたり、お箸の使い方を教えてと言ってきたり、楽しく接することができるようになっていきました。大学では、スポーツマネージメントを専攻。グループで学習をすることがあり、とても楽しく学ぶことができました。
日米野球の違い
1年からベンチ入りを果たし、日米の野球の違いを感じたのは、何と言っても練習の短さでした。ピッチャーはブルペンで投げて終了。物足りないからさらに練習をすると「コーチからの指示がないだろ」と言われるほどでした。野球をやらされているという感覚は、存在しません。あるのは「皆が野球を楽しんでいる」という事実でした。野球を楽しみながら、私がやるべきことだと考えていたのは、まず、試合で結果を出せるように自分を持っていくこと。アメリカ人は、チームを離れて個々がしっかりと自分のことを考えてトレーニングをしているのです。2つ目は、チームメイトとのコミュニケーションを大切にすること。そのためには雑用もすすんでするようしていました。
納得のいく終止符
4年生のとき、のちにメジャーまでのぼりつめた選手と対戦したのですが、見事にホームランを打たれてしまい……。しかし、これで自分の気持ちが吹っ切れたのは確かです。メジャーに行くような選手は、やはりひと際違います。私は、自分の野球をやり切ったと感じました。卒業後は、アメリカで就職。実は、大学在学中に父を亡くしていたのですが、母は「帰って来なさい」とは言わず、「決めたからにはやるだけやりなさい」と言ってくれました。就職先は日本人の方が経営している会社で、小中学生の野球チームの管理、野球教室での指導が、主な仕事内容です。利用者の60%がアメリカ人、40%が日本人でした。結婚を機に帰国するまで、アメリカで野球に関わる仕事ができたのは、とても良かったと思います。
留学を考えている選手たちへ
これから留学しようとしている選手に対して思うことは、後悔だけはしてほしくないということです。そのためには、挑戦する気持ちが大事。肉食になって、突き進んでほしい。「今もガツガツしているぞ」と思っているなら、それを生かせるのは日本だけではないことを一度考えてみてほしいです。そして、アメリカの野球で成功するためには、まずは、何よりも英語です。言葉ができないと、どれだけ野球がやりたくてもできません。英語が苦手だとしたら、まずは漫画から始めて、簡単ことでいいので英語に触れることから始めよう。1日10個でもいい。最終的には、ただ意味を覚えるだけではなく、見て即反応できるように。野球に例えると、自然にボールに反応するような感覚で、英語を自分のものにすることを目指してほしいです。野球に関しては、正しい身体の使い方を学ぶべきです。これができるかできないかで、ずいぶん伸びしろが変わってきますから。そして、壁にぶつかってもくじけずにとにかく前へ進むこと。日本人の野球スキルは高いですから、どこにいても自信を持っていいと思います。私自身のこれからは、アメリカ野球のおもしろさを、もっと多くの人に伝えたいと考えています。大げさな言い方をすれば、日米の架け橋になりたい。そんな思いを胸に進んでいきたいですね。
【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)
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