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2015年1月 6日 (火)

Vol.14 トレーナー留学:高橋 雄介さん

Top山形・寒河江高 → テキサス州立大学サンマルコス校 → サンノゼ州立大学大学院 → MLBロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム

高校時代は、外野手として活躍。卒業後、米国テキサス州立大学にスポーツトレーナー留学。大学在学中は硬式野球部のアシスタントトレーナーとして活躍し、NATA認定アスレティックトレーナー取得。大学卒業後の09年、MLBフィラデルフィアフィリーズ傘下のマイナーチームでトレーナーのインターンシップを経験。その後、サンノゼ州立大学大学院に進学し同校硬式野球部のヘッドトレーナーを務める。同校でキネシオロジー学部修士号を取得し、14年よりMLBロサンゼルス・エンゼルスのアスレティックトレーナーに就任。マイナーリーグの若手選手の育成に従事している。

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目標に向かって一生懸命進む道で巡り合った人たちとのつながりがもたらした、高橋雄介さんのサクセスストーリー。人との出会いや縁がどれだけ大切かを教えてくれる、素敵なお話をお聞きしました。
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アメリカ留学を決意するまで

中学生の早い段階で、漠然とアスレティックトレーナーになりたいと考えていました。その時は「プロ野球選手をケアをする人」というイメージだけを持っていたのですが、高校生の時にトレーナーに関する本を読むようになり、学ぶなら本場のアメリカがよいということはわかりました。ただ、自分が留学をしてアメリカで学び生活をしている姿は、まったく想像がつきませんでした。高校卒業後は日本の大学に進学をするつもりで受験をしましたが、敢え無く失敗。浪人生となったのですが、このまま勉強を続けていても本当に自分のやりたいことに結びつくのだろうかと、疑問を抱き始めたのです。この時は両親にも心配をかけてしまうほど思い悩んでいたと思います。そうして悩んだ末、出した答えは「アメリカへ留学をしよう」でした。高校の同級生がアメリカへ留学していたこともあり、情報を聞いたりアドバイスをもらったりしたのがとても大きく、迷っていいた私の背中を押してくれました。予備校を辞め、留学準備のために自宅で英語の勉強を開始。野球選手として、受験生としてやり残したことがあると感じていたので、その悔しさが自分を奮い立たせ、英語の勉強を頑張ることができました。

教授との会話が支えてくれた留学生活

3高校を卒業して約1年後の5月に渡米。大学へ進学する頃にはTOFELの点数は上がっていたのですが、やはりスピーキングに苦手意識がありました。大学へ入学して間もない頃はクラスメートと思うように話せず、話し相手はもっぱら教授でした。質問したり相談したりしたことに対して、教授はいつも親身に応えてくれました。たくさんの生徒がいる中で、真剣に向き合ってくれたことは、本当に有り難く感謝しています。おかげで時間が経つにつれ、入学当時からほぼメンバーが変わらないクラスメートとも打ち解けられるようになりました。お互いに助け合いながら勉強ができたことは、よい思い出です。ただ、まだ学校の勉強と活動に一杯で、長期休みに学校外でインターンをする余裕はありませんでした。2年が過ぎた頃、教授の勧めで応募した奨学金をもうらことができたのです。これまでの苦労が1つ報われた達成感を味わうことができ、そこから学校外の活動にも目が向くようになりました。

人生を変えた2週間のインターン

Kinesio_mlb_spring_training_inter_2まずは、MLBサンディエゴ・パドレスで2週間のインターンを経験することに。恵まれた自然、施設の充実、選手たちの人柄のよさに感動し、人生を変えたといっても過言ではありません。チームの皆が突然入ってきた私を歓迎してくれ、終わった後も「このままでは終わりたくない、何らかの形で続けたい」と強く思うようになりました。大学に戻ってからも野球の授業で、インターンで学んだことを紹介したりもしました。次の夏休みもインターンに参加しましたが、すべては最初のインターンがあったからこそつながったことであり、2回のインターンでメンタリティの基礎を学ぶことができました。

卒業前には、マイナーリーグのチームへ片っ端からコンタクトを取ったのですが、どこも定員いっぱいだと断れてしまい、進路が決まらないまま卒業。あきらめずに活動を続けようと思っていた矢先、一度断られていたMLBフィラデルフィアフィリーズ傘下のマイナーチームから「空きが出たから」と連絡がきたのです。渡りに船のような気持ちで面接を受けたところ、これまでのインターンの経験を買ってくれ、無事に採用となりました。チャンスはいつやってくるかわからないものです。

がむしゃらに進んだ先に見えた目標

1プロの世界に飛び込んだ最初の3か月は、ついていくのが精一杯。同期は大学院を卒業して経験もあったので、歴然とした差を感じずにはいられませんでした。自分はこれでいいのかと悩み、コーディネーターに相談をしたのですが、「心配しているということは大丈夫だ」と言ってくれ、心が軽くなりました。がむしゃらに頑張りながら1年が過ぎた頃、チームのほうから「今後はどうするつもり?」と声を掛けてもらいました。まだこのチームで学びたいことがたくさんあったので「ぜひ、継続させてほしい」と伝えると、もう1年契約をしてもらえることに。通常は単年契約で終わってしまうことが多い状況の中で、とても有り難いと思いました。1年で終わるのともう1年できるのでは、やはり大きな違いがありますから。

2年目はよりいっそう責任を感じながら仕事をしました。お金をもらってインターンをしているからには、会社やチームのことを考えなくてはならない。1年目では見えなかったことが2年目では見えてくるようになりました。また、インターンではなくフルタイムで働きたいという目標もでき、もっと一人でチームをさばけるトレーナーになりたいと思うようになりました。2年間のインターンが終わった時点で、自分はもうここにはいてはいけない、次の道に進むべきだと考え、大学院への進学を決意しました。正直、学生に戻ることは少し違和感があったのですが、30歳になるまでに自分の立ち位置と進む道を確立したいと思っていました。

一人でチームをさばくトレーナーを目指して

5結果、大学院に進んだのは正解だったと思います。在籍中は、もっと野球のトレーナーとして腕を磨きたいと考え、野球のトレーナーをリクエストし続けました。そんな姿を見たフィリーズのコーディネーターが、硬式野球部へ推薦をしてくれ、ようやくトレーナーとして就任することができたのです。一人でチームをさばく環境も与えられ、自分がやりたかったこと、目指していたことは「まさにこれだ」と実感しました。しかし、一人でさばく以上は、インターンでは経験できないチームのコーチや相手チームとのコミュニケーションなど、当然わからないことが出てきます。時にはフィリーズ時代のことを思い出したり、電話をかけて相談したり、大学院のスーパーバイザーに訊いたりし、試行錯誤しながら自分のできる範囲を広げていきました。

1年経った頃には、コーチからも認めてもらえるようになり少し落ち着いていたところ、2年目はなんとコーチ陣が一掃され総変わりに。新しいコーチたちは、トレーナーがいる環境に慣れておらず、私がやることに対し「過保護にするな」などと言うようになりました。このままではお互いに解りあえないままだと思い、監督に相談に行って話し合いを重ねると「チームのために必要なスタッフ」であることを理解ししてもらえるようになりました。また一から関係を築き上げていくのは大変でしたが、理解し合おうと努力することで、よりよい関係性ができるのだと感じました。2年目が終わる頃には、マイナーリーグのチームに正式採用されてもやっていけると、自分なりの自信がついていました。

再び巡り合った運命

大学院卒業後、OPT*を開始しましたが、一旦日本に帰るべきかどうかも迷っていました。大学院には日本人の教授がいたので進路について相談してみると、リサーチアシスタントのお話をもらいました。最初はピンとこなかたのですが、何事も勉強になるかもしれないと考え、引き受けることにしました。給料が発生しないので少し苦しいなと思いながらアシスタントをしていたところ、突然、とある短大から電話がかかってきたのです。3か月のパートタイムで働けるトレーナーを探しているとのこと。就職活動をしながらパートで働けるのは、本当に有り難い話でした。しかし、就職活動は意外と難航し、なかなか面接までこぎつけることがはできません。それでもチャンスが巡って来るのをあきらめずにいようと思っていたところ、3チームに空きが出たのとの情報を得たのです。「この3チームのどこかで採用してもらえなかったら、別の道も考えなければ」と決意し、必死の覚悟でのぞもうと履歴書を送りました。

6_4気持ちを新たに、ちょうどその頃心配をしてくれていた大学院のコーチに挨拶に行きました。これまでのいきさつを話したところ、履歴書を送った3チームの1つMLBロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムのアシスタントGMと友達だと言うのです。その場ですぐさまメールを打ち「彼の能力は間違いないから」と推薦をしてくれました。エンゼルスのマイナーチームでは、外国人のスタッフは雇わない方針だったのですが、コーチがメールをしてくれたおかげで面接を受けさせてもらえることになりました。「他にも面接をしている人がいるから」と言われていましたが、面接を受けて数日後になんと採用が決まったのです。
※OPT:Optional Practical Training(オプショナル・プラクティカル・トレーニング)の略で、アメリカの大学、短大、専門学校を卒業後、留学生が申請出来る実務研修期間。民局からの許可により、最大12ヶ月間、アメリカ国内で合法的に働ける制度。

10年越しの夢の実現

エンゼルスは就労ビザを出さないという会社のルールまで変えて、採用をしてくれました。自分では突破できないことを、周りの人のおかげで突破することができたのです。チームからは「自分の信じたことを好きなようにやってくれ」と言ってもらっています。やりたかったことが実現できている環境は、夢の中にいるみたいです。ここまで来るには10年かかりましたが、1歩1歩進んで来たのがよかったのだと思っています。時には進路が決まっていないという危機感もありましたが、何事も不平を言わず一生懸命やることだけは忘れずに取り組んで来た姿を、周りの人は見ていてくれたのではないでしょうか。

大きな目標を達成するために大切なこと

4_2私は、能力が高かったわけでも優秀だったわけでもありません。しかし、目標にたどり着けたのは、与えられた環境で真摯に誠実に取り組み続けたから。一生懸命頑張っている姿が周りの人の目に入り、「助けてやりたい」という気持ちになったのだと思います。一人では達成できない大きなことをやり遂げるには、他の人の助けや後押しが必要です。そこで「助けたいな」と思ってもらえる人間にならなくてはいけないと、私は思っています。

もがき苦しんでいる姿を見た人は、成功しているとは思わないかもしれません。しかし、周りの人が何と言おうと自分が決めたことに挑戦し、悔しい思いや嬉しい思いをした時点で成功なのではないかと思います。成功とは、のぼりつめた先にあるものではなく、もっと近くにあるものだと考えれば、きっと辛くてもあきらめずに進むことができるはずです。私は、毎日素晴らしい環境で仕事をしていることを嬉しく感じていますが、まだ自分のスキルに満足しているわけではありません。野球選手と同じで自分の現状に感謝はしても満足せず、もっと上を目指したいと思います。

【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)

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コメント

こんにちは
私はアスレチックトレーナーを目指している高校2年生(女子)です。
私はトレーナーの勉強を本場、アメリカで勉強したく、テキサス州立大学サンマルコス校がとても気になっています。
サンマルコス校はとても施設や環境がよく、日本の大学では学びきれないことを学べる大学だと思っています。
もしアメリカの大学へ進学するとなったとき、費用がとてもかかると思うのですが、費用面はどのようにしていたのかお聞きたいと思い、コメントさせていただきました。ご返答、お待ちしております。

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