Vol.13 マネジメント留学:長又 淳史さん
雲雀丘学園高 → 神戸学院大 → カイザー大学 → セント・トーマス大学大学院 → 横浜DeNAベイスターズ通訳
プロ野球の球団職員になりたいという夢を叶えるため、大学卒業後にスポーツマネジメント留学。シカゴ・カブス傘下のデイトナ・カブスで2年間のインターンシップを経て、大学院にて本格的にスポーツマネジメントを学ぶ。卒業後は横浜DeNAベイスターズの通訳として4年間従事。アレックス・ラミレス選手('12~'13)やナイジャー・モーガン選手('13)など球界を代表する外国人選手らのパートナーとして活躍した。
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アメリカのプロ球団でのインターンのポジションを勝ち取り2年間務めあげた後、4年間、横浜DeNAベイスターズの通訳として従事した長又淳史さん。前向きな気持ちで運命的な出会いを次々に引き寄せた貴重なお話をお聞きしました。
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目標への一歩
中学から野球を始め、ずっと野球が好きでした。将来は漠然と日本のプロ野球チームのフロントで働きたいと考えていたのですが、実際働くためにはどうすればいいのかわからずにいました。そんな時、私の人生を変える1冊の本に出逢ったのです。アメリカ・マイナー球団で日本人初となるフロントスタッフとして活躍をした「ヨシ岡本」さんの本です。この本を読んで、フィールドは日本だけではなくアメリカにもあるんだと気づき、海外への思いが強まりました。岡本さんとは実際お会いしてお話もさせていただたいのですが「現実は厳しいぞ」と言われました。それでも決意した気持ちは、変わりませんでした。まずは大学在学中に、カナダ・モントリオールへ1か月の短期留学。その時にオタワのマイナーリーグ球団に連絡先を渡してまわりました。目標に向かって踏み出した時でした。
目標達成への道
大学卒業後は、迷わず長期留学への道を選びました。サンフランシスコの語学学校に通ったのですが、アジア人が多くコミュニティが発達していました。もちろんよい点もあるのですが、もう少し日本人が少ない環境に身を置きたいと考え、テキサスの語学学校へ編入。そして、渡米して半年が経った頃、メジャーリーグ界のジョブフェアとも言われるウインターミーティングに参加することになりました。この時点でまだ英語が思うように話せなかったにもかかわらず、履歴書を100通ほど提出。そのうち3球団が面接をしてくれることになりました。やはり、英語での面接は思うようには話せず、さらに風邪をひいて声が出ないというアクシデントも重なり、正直、よい手ごたえは感じられませんでした。しかし、予想外の結果が待っていました。英語力より日本人の真面目さを重視してくれたシカゴ・カブス傘下のマイナー球団に、インターンとして採用が決まったのです。
英語に囲まれた毎日
フロリダで他のインターン仲間4人と1軒家を借りてシェアし、大学の授業後にチームへ行ってインターンをするという日々が始まりました。仕事も生活も英語を使わざる得ない環境。最初は聞き取れなくて聞き返してばかりでしたが、とにかく楽しい気持ちが先行していました。スポンサー探しの営業活動で電話を掛けなくてはいけなかったのですが、アメリカ人に書いてもらった例文をひたすら電話口で読み上げるのに必死。当然、相手の言っていることはわかりません(笑)。飛び入り営業をしても横で話を聞いているだけ。自分が何の戦力にもなっていないとわかっていたので、最初の1年はとにかく自分のできることを最大限にしようと、前向きな気持ちでいることを心掛けました。
さらにもう1年、自分の力を試したい
インターンを始めて1年経った頃、不完全燃焼のまま終わりたくないと思い「もう1年やらせてほしい」とお願いしたところ、OKをもらいました。新しいスポンサー探し、設備の準備やビラ配り、スタンドまわってイベント用のグッズを売ることが通常の仕事でした。雨が降った時はびしょ濡れになりながら、グランウンドへシートかぶせる作業をしたのですが、驚くことに社員やGMまでもが一緒に作業をするのです。その姿を見て「どんな仕事でも文句を言わずにやらなくてはいけないな」と思うようになり、皆が嫌がるマスコットの中に入るような仕事も率先して行うようにしました。
それに加え、清掃のリーダー、イベントの企画と運営も行い日系企業からの支援も得て「ジャパニーズナイト」を開催しました。こちらは企画会議で自ら提案し指揮をとった企画で、2年間のインターン生活で1番大きな仕事だったかもしれません。日本の音楽を流し、和太鼓のパフォーマンス、日本から取り寄せた風鈴でスタジアムに日本の風景を作りあげました。また、梅酒の販売や日本ではお馴染みのジェット風船を飛ばすと、観客が喜んでくれました。スタッフの先頭に立ち、スタジアム一体をまとめるために、必死で英語力を駆使していたのを覚えています。結果、少しではありますが球団に利益をもたらすことができ、これまでの恩返しができたようで嬉しかったです。
チームの皆は、私の英語がたどたどしいのを理解した上で接してくれました。おかげで大変なこともありましたが、働きやすい環境のもと、とても楽しく仕事をしていました。辛かったのは日本食が食べられなかったことくらいです(笑)。球団職員のイメージとは少し違う部分もありましたが、「これがマイナーリーグなんだ」ということを体験でき、むしろ良かったと感じています。2年目は、やりたいことはやり切ったという気持ちで終えることができました。
ドミニカでの貴重な経験
2年間のインターン後は「もっとスポーツマネージメントの勉強がしたい」と思い、大学院への進学を決めました。授業で使う英語はレベルが上がり、不安はあったものの苦労とは思いませんでした。大学院在学中、ドミニカへ野球を観に行くことがあったのですが、そこで現地で活躍する日本人トレーナーの方と仲良くなりました。その方のおかげでチームに帯同させてもらうことになったのです。さらに、再度ドミニカへ行った時には、横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ)の国際スカウトの方が視察に来ており、一緒に行動をさせていただきました。ドミニカでの2回の貴重な経験は、運命的なものだったと感じています。
ベイスターズの通訳者として
就職活動のためにあるSNSに登録したのですが、使い方がよくわからず、連絡先に登録している全員に自動でメッセージを送ってしまうという大変ことをしでかしました。しかし、このアクシデントが、運命的なつながりをもたらしてくれるとは思いもよりませんでした。ドミニカでお会いして以来疎遠になっていたベイスターズのスカウトの方とつながり、なんと先方からご連絡をいただいたのです。「ベイスターズで通訳を探している」というお話をいただき、帰国後、面接を受け採用となりました。いざ働き出してみると、やはりアメリカと日本のプロ野球の違いを感じ、最初は慣れるのに時間がかかりました。
日本で仕事をする以上は、日本のルールに従ってやっていかなくてはいけません。時間やスケジュールの厳守、きちんとした服装など「ここはアメリカではない!」と、自分に言い聞かせました。また、通訳という仕事は、球団と選手の間に入らなくてはいけないので、難しい立場でもありました。外国人選手は不満があってもコーチには伝えず、通訳者のみに伝えます。それを周りにうまく伝えるのも通訳の仕事です。時には外国人選手を指導することも必要ですが、理解してもらえず2か月ほど口をきいてくれないことも。「選手にストレスを与えない」ことが通訳としてのプライドだと考え、自分は選手を受け止めるサンドバッグになろうと思いました。自分を犠牲にすることもありましたが、面倒を見ている選手の活躍が、何よりの喜びでした。
目的をしっかり持つことが自分を変える
振り返ってみるとアメリカでの5年半の生活は、あっという間に過ぎていきました。ウインターミーティングに参加し、目標だったインターンができたことが、すべてにつながっていったと思います。これから留学を目指す方は、目的をしっかり決めておくことが大切です。最終段階でなくてもかまいません。途中のゴールを決めておくと、たとえまわり道をしてもたどり着けるはずです。私はもともとあまり積極的なタイプでもリーダーシップをとるタイプでもありませんでしたが、目的を決めることでアグレッシブになれました。そして、時には周りの人に背中を押してもらうことも必要。自分の意志を貫く部分と相手の意見を受け入れる柔軟さを両方持ち合わせていることが理想だと思います。私はやはり野球が好きです。今後も野球と関わる仕事を続けていきたいと思っていますので、皆さんもあきらめずに前向きに進んでください。
【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)
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コメント
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野球のルールも何も知らないですが、へこんだ時に、長又淳史さんのこの記事を読んで目的が定まらない今、大丈夫って言い聞かせています。
投稿: 井上幸重 | 2015年8月20日 (木) 20時27分