Vol.11 トレーナー留学:山口 元紀さん
高崎大付属高 → 日本大学 → テキサス工科大学院:健康科学センター → MLBタンパベイ・レイズ → MLBボストン・レッドソックス → Dr.トレーニング代表
日本大学卒業後、本場のスポーツ医学を学ぶ為、テキサス州の大学院へ留学。卒業後にMLBタンパベイ・レイズや、ボストン・レッドソックスでアスレティックトレーナーを務め、故障選手のリハビリやトレーニングに携わる。2012年に帰国し東京・恵比寿に「Dr.トレーニング」を設立。多くのプロ野球選手を始め、サッカー選手やゴルファー、歌手やファッションモデルなどのパーソナルトレーニングを担当。
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アメリカ南部・テキサス州の大学院に留学し「全米NATA認定アスレティックトレーナー(NATAーATC)」を取得した山口元紀さん。英語嫌い・英語力ゼロからMLBのトレーナーとなり、まさにアメリカンドリームを勝ち取った、力溢れるストーリーをお聞きしました。
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「自分」の基盤ができた小学生時代
小学2年生の時、すでに野球をしていた兄の練習を見に行ったのが、野球を始めるきっかけとなりました。練習を見に行く時はまだ、チームに入るかどうかは決めていなかったのですが、監督は「明日からやるよな」とひと言。有無を言わさず、その翌日からチームに加入して、野球を始めていました。監督の指導はとても厳しく、バットでお尻を叩かれたことも数知れず(笑)。しかし、ただ厳しいだけではなく、時間をかけてでも最後までやるように教えられました。その教えとプロ野球選手への夢とが支えとなり、どんなに辛くても、一度始めたことは最後までやり抜こうと決めていました。「やるならとことんやる」という自分の基盤が、この時にできたのではないかと思います。
一度、野球と離れてみてわかったこと
中学、高校も硬式野球部に所属し、甲子園出場とプロ野球選手になる夢を追いかけていました。残念ながら、甲子園出場は果たせず、プロ野球選手になることも難しいと思い始めた頃、自分の中にあるのは「野球をやり切った感」でした。「これまでは野球のことしか考えてこなかった。大学では野球以外のことをやりたい」と思い、スポーツ医学を学びたいと思い進んだ日本大学では、これまでの時間を取り戻すかのように、友人たちと思う存分遊び、自由きままな毎日を過ごしていました。しかし、心から満足できないのです。何かやらなくてはいけないという思いに駆られていたものの、この時点では、留学もトレーナーを目指すことも考えてはいませんでした。英語は一番嫌いで苦手な科目だったので、自分とはあまり縁がないと思っているくらいでした(笑)。とにかく野球と離れてみてわかったことは、何も目標を持たずに過ごすのは、自分には向いていないということでした。
「今」に続く再スタート
「いつトレーナーになりたいと思ったのか」と、よく聞かれるのですが、実は「ここから」という明確な区切りはありません。ただ、高校時代に手を骨折した時、誰もケアをしてくれる人がおらず、独学でケアについて学んだのが頭に残っていました。それがきっかけだと言えばそうかもしれません。ある日、遊び中心の生活から抜け出したくて、高校時代からお世話になっているトレーナーを訪ねました 。すると「トレーナーに携わりたいと少しでも思っているなら、スポーツに携わっていたほうがいい。大学を卒業するまでは野球を続けなさい」と。自分もやはり野球がもう一度やりたいと思う気持ちもあり、大学の準硬式野球部に途中入部しました。さらに「英語は勉強しておけ」とアドバイスを受け、嫌々なりに英語の勉強をし始めたのが、大学2年生の時でした。
アメリカ留学を決めた理由
大学卒業後の進路を決めるに当たり、自分の中で、いくつかの思いが重なりました。まず、英語の勉強は続けていきたいということ。次に、トレーナーになるなら最高峰の資格を取りたいということ。さらに、日本を出て海外に行きたいということ。この3つが合致する道は「アメリカ留学」だったのです。行くと決めたからには英会話教室に通って準備をし、大学卒業後、すぐに渡米しました。まずは、大学付属の語学学校で英語力を強化し、大学院進学のための単位を取るために、四年制大学に2学期間通いました。そしてさあ、いよいよ大学院に進むための手続きをしようと思った時、予期せぬトラブルに見舞われたのです。それは、大学側による履修科目の申請ミス。つまり、大学院に進むために必要な単位が一つ抜けていた、と言うのです。日本では有り得ないことなのに、そこは、アメリカンスタイル。「ごめん!ごめん!」と軽いノリで謝られただけで終わってしまいました。こちらは人生かかっているのに、です。
自分を追い込み奮い立たせた留学生活
さて、どうしようかと思いましたが、別の大学院を探すしかありません。その後の1学期間は、大学院探しに費やしました。解剖学が学べて、さらに日本の大学ではできない検体の実習ができるという希望に合ったのが、テキサス工科大学院:健康科学センターでした。テキサス州はアメリカ本土の南部にあり、日本人はあまりいない場所なのですが、それも私にとっては、望むところでした。決して日本人と関わりたくないというわけではありません。ただ、日本人がいると、どうしても頼ったり甘えたりしてしまう。そんな環境を排除して、極限まで自分を追い込みたかったのです。そんな思いは、大学院生活がスタートすると、充分過ぎるほど叶えられました。ネィティブでも難しい内容の授業、毎日課される大量の課題。最も多い時には、3科目分の300ページ近くの資料を一晩で読破するという、気が遠くなりそうな課題もありました。日本人の自分が、言葉の壁にぶつかりながらクリアしていくためには、ネィティブが寝ている間に頑張るしかありません。栄養ドリンクを片手に、英語と格闘する毎日でした。しかし 「辞めよう」「日本に帰りたい」とは、一度も思いませんでした。覚悟を決めて来た留学です。辛いからと言って、簡単に日本に帰れば、人生が終わってしまうと思っていました。
待っているだけでは、何も始まらない
そのような怒涛の大学院生活を終え、無事に卒業式を迎えることになりました。卒業式ではきっと泣くだろうと思っていましたが、意外と涙は出ませんでした。その時すでに気持ちは、アリメカに残ってトレーナーの仕事をするという次の目標に向かっていたからです。その時は野球のことしか頭になかったので、メジャーリーグの球団でトレーナーをしようと思ったのです。もちろん簡単には求人なんてありません。電話をかければ断られるだろうと思っていたので、アポも伝(つて)もなしに、球団のキャンプ地に飛び込みで、売り込みに行ったのです。反応は様々でしたが、タンパベイレイズとニューヨークヤンキースの2チームからオファーをもらい、実務の経験をより多くさせてくれるタンパベイレイズを選びました。1 年半が過ぎた頃、別のシステムも見てみたいという思いが強くなりました。そんな時、ボストンレッドソックスがトレーナーを募集していることを知り、迷わず応募。面接を受けて、1週間後に合格の連絡があった時は、本当に嬉しかったです。再生工場と呼ばれているレッドソックスは、リハビリのシステムがしっかりと確立しており、私が今行っているものも、その時のシステムが基盤となっています。
留学とは覚悟を決めること
もし、今、留学を考えているなら、人に相談して決めようという思いは捨ててほしいと思います。厳しいことを言うようですが、相談するくらいなら、やらないほうがよいかもしれません。海外留学は、日本の生活では考えられないようなことが起こります。そのような生活の中で、傷つき落ち込むこともあるでしょう。人から勧められたからではなく、自分で悩んで考えた末に出した答えでなければ、きっと、100%の力を出し切ることは難しいと思うのです。結局、惰性で留学生活を送ってしまうか、あきらめて帰国することになってしまいかねません。留学とは「覚悟を決めること」なのですから。
目標に達した後、さらに続く夢と新たな目標
レッドソックスでは、多くのことを学び、吸収し、トレーナーとしても認めてもらえるようになりました。しかし、それはトレーナーとしての幸せであり、自分自身の幸せではないと感じていました。もっと自分の力を試したい、自分の力で道を切り開きたいという思いから、起業をしようと決意したのです。2011年の帰国後は、いちトレーナーとして、プロアスリートや多くの芸能人のパーソナルトレーニングを担当。2013年6月、恵比寿に「Dr.トレーニング」を開業しました。また、2014年2月には、自分を育ててくれた地元・群馬県高崎市と野球に恩返しがしたいと思い「ベストパフォーマンスジム・鍼灸整骨院 in 高崎ペガサス」をオープンしました 。2014年も、さらなる目標に向けて進もうと思っています。そして今後は、アメリカでトレーナーについて学んでみたいという学生が増えてほしいですね。
【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)
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