Vol.10 マネジメント留学:藤沢 剛さん
秋田県立角舘高 → 日本大学 → インディアナ州立大学大学院 → 東京ヤクルトスワローズ編成部国際担当・通訳
日本大学卒業後、アメリカの大学院へスポーツマネジメント留学。在学中は大手スポーツマネジメント会社で学生インターンとして、多くの日本人メジャーリーガーをサポートする。帰国後は東京ヤクルトスワローズの編成部国際担当・通訳として活躍中。
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就職活動中にアメリカスポーツマネジメント留学を決め、現在はプロ野球の現場で働く藤沢さん。インターンシップと片道3時間半かけて通った大学院の授業の両立で得たものとは。
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アメリカ行きを決めた時
アメリカへのスポーツマネジメント留学を決めたのは、大手スポーツマネジメント会社の方との出会いがきっかけでした。その時はまさに、就職活動まっただ中で、日本で各社の面接を受けている状況だったのですが、その方の話を聞いたことでアメリカ行きのスイッチが入りました。その話とは「今後、メジャーリーグを目指す日本人選手が増えていくだろう。選手をしっかりサポートできるスタッフとして、アメリカで英語やスポーツマネジメントを勉強した人が求められるようになる。野球界に興味があるなら挑戦してみたらどうか」という内容でした。それまでは野球界に興味があっても、たやすく仕事ができるような場ではないと思っていました。今までは野球界に興味があっても、たやすく仕事ができる場ではないと思っていました。心の奥にあった気持ちが「挑戦」という形で現れてからは、日本での就職はやめようと、決まっていた面接の予定をすべてキャンセルしました。もちろん、アメリカに行って思い描いたとおりになる保障はありません。しかし、本当にやりたいことを実現するためには、逃げ道を作っておくような中途半端な気持ちではなく、自分の持っているものすべてをその目標に賭けて挑まなくてはいけないと思ったのです。
日本には戻らない覚悟で
大学2年生の時に、交換留学生としてアメリカのアラバマ州にある私立大学に1年間通いました。英語が好きだから留学したというより、就職のために英語ができたほうがいいだろうという両親のすすめがきっかけでした。1年間の留学を終えて、英語で日常会話ができるようになった私を見た両親は、このまま日本で英語を活かして就職をするものだと思っていたようです。ですから「日本での就職をやめてアメリカにいきたい」と話した時は、猛反対を受けました。秋田の実家に戻っても、父親が口を聞いてくれないこともありました。そんな反対を押し切ってまで決めた二度目の渡米です。「簡単に帰ってくることはできない。アメリカで行けるところまで行こう」という覚悟で海を渡りました。
厳しい言葉がくれた力
猛反対していた両親からの金銭的な援助を望むことはできませんでした。そのため大学院入学前に英語学校へ通うための資金と時間に余裕がなく、渡米後すぐ大学院に入学しました。それは、まるでウォーミングアップをせずに、いきなり全力疾走をするようなものでした。1年目は大学院の授業についていくのが大変で、ディベートのクラスでは、自分だけ何も話せないこともありました。課題をこなすために、寝る時間もほとんど無いような毎日。そんな時、担任の教授から呼ばれたんです。「授業中に発言もしないし、課題もなんとか提出している状態。留学生だからと言って甘えていてはいけない!あなたは留学生である前に、大学院生なのだから」と叱責を受けました。普段はなかなか理解できない英語も、怒っている時に限って、不思議とよく分かってしまうんですよね(笑)。その時はかなり落ち込みましたし悔しかったですけど、私のような留学生にここまで言ってくれる教授はなかなかいません。今となっては、真剣に学生のことを考えてくれる教授に出会えてたことに感謝しています。
日本人としての意識を持って
大学院2年目には、留学のきっかけをくれたスポーツマネジメント会社の方の紹介で、一時帰国中して東京ヤクルトスワローズで2ヶ月間のアルバイトをしました。仕事内容は、当時、チームにいたディッキー・ゴンザレス選手(元読売ジャイアンツ)の通訳です。球団からは「よくやってくれた」と仕事ぶりを評価して頂いたようで、大学院の授業やアメリカでの生活は苦労したこともありましたが、頑張れば見てくれる人はいるのだなと実感したことを覚えています。その後、アメリカのシカゴにあるスポーツマネジメント会社で、インターンシップが始まりました。城島選手(当時シアトル・マリナーズ)、岩村選手(当時タンパベイ・レイズ)、田口選手(当時セントルイス・カージナルス)がメジャーリーグで活躍していた頃で、選手や家族のビザ申請や、住宅の契約などをしていました。その頃、ホワイトソックスでプレーしていた大家選手のサポートをさせてもらったのですが、色々なことを教えて頂きました。大家選手は私のできていないことを、きちんと指摘してくださる方で、特に礼儀作法には厳しかったですね。いつも「アメリカにいても日本人であることを忘れるな」とおっしゃっていました。大家選手からの指導があったからこそ、私はどこにいても日本人として恥ずかしくない仕事や振る舞いをしようと思うようになれました。大家選手には、敢えて誰も教えてくれない常識や、社会人として大切なことを教えて頂きました。それは、外国人選手を相手とする今の仕事にも役に立っています。
留学をして得たものは「考える力」
大学院卒業後は、そのままアメリカで就職する計画を立てていたのですが、ヤクルトスワローズから声をかけて頂き、編成部国際担当・通訳として採用が決まりました。最初は、日本には戻らないつもりで渡ったアメリカでしたが、たとえ海外で就職するとしても、日本人としての長所を生かすためには日本の社会を知ることも必要だと考えるようになっていました。このような前向きな考え方は、留学を通じて自然に身についたものだと思っています。以前はすぐにあきらめていたことも、今はこうすればできるのではないかと考える力がつきました。それは、「夢」を「目標」として現実世界に持って来るような思考回路だと思うのです。目標を持って、それを達成するためにはどうすればよいかと、いつも考えています。
チャンスと出会いを発展させよう
進路を探している皆さんは、まず、目の前のチャンスに飛び込んでいくことが大切です。新しい世界に飛び込むことで新しい出会いがあり、よい出会いは自分を成長させてくれます。そして、そこから発展させていくのは、やはり自分次第です。就職活動をしている学生の方から進路についての相談を受けることもありますが「今、紹介できるような仕事はない」と言うと、それで終わってしまいます。簡単なやりとりだけをして、それで連絡が途絶えてしまうこともあります。せっかく、調べて私にたどり着いたのであれば、もっと貪欲にぶつかってきてほしいと思います。私自身、たくさんの方々との出会いに恵まれたおかげで前に進めたこともあり、そのすべての出会いに感謝しています。だから、今度は私が志のある人に、還元する番。就職が決まったなら、たとえ別の業界であっても報告をしてくれてもいいのです。そこでできたつながりが、将来、何かに発展することもあります。そのように夢や目標につながっていくものなのだ私は思います。
【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)
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