Vol.9 マネジメント留学:藤野 哲平さん
→ 日本大学 → バンクーバー・カナディアンズ(MLBトロント・ブルージェイズ マイナー球団)
日本大学時代に参加したアメリカ・サマーリーグで海外の野球に魅せられ、留学を決意。スポーツマネジメントを学ぶため、MLBトロント・ブルージェイズのマイナー球団での短期インターンシップに参加。その後、同球団では日本人初となるフルタイムの球団職員として3シーズンに渡りチームをサポートした。現在はアメリカ・ニューヨークで飲食店のマネージャーとして活躍中。
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遠回りだと思われることも、すべて夢へのプロセスに変えていく力を持つ藤野さん。大学時代からカナダでのインターンを経て、現在、ニューヨークで働くに至ったバイタリティにあふれるお話をお聞きしました。
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近いようで遠かったアメリカ留学
大学時代は体育会硬式野球部には所属せず、地元のクラブチームでプレーをしながら、プロ野球選手を目指していました。さらに、夏休みにはアメリカで開催されるトライアウト形式のサマーリーグにも参加しました。そのサマーリーグでのプレーを見てくれたコーチから「アメリカの大学でやってみないか」と誘いを受けましたが、全く英語ができなかったので、仕方がなく断念。やはり英語が話せるようになりたいと思い、日本に戻って語学学校に通い始めました。よい先生にも恵まれ、半年ほどでアメリカの大学に入る英語テスト(TOEFL)の点数をクリアすることできました。一度は断念したアメリカへの留学が決まり、あとは渡米を待つだけでした。しかし、ここで考えてもいなかったことが起こったのです。それは「ファイブイヤーズ」という制度。これは大学生としてプレーできるのは、通算5年までというきまりです。私は日本の大学ですでに4年間プレーをしていたため、残り1年しかないという状況だったのです。大学に通うことはできても、野球ができないのなら意味が無いと留学を取り止めました。この時、大学4年生の6月。少し遅れて、日本で就職活動を始めることになりました。
3度目でつかんだチャンス
大学卒業後に入社したのは、都内のベンチャー広告代理店。働き出してからも、プロ野球選手になることはあきらめきれず、何度か日本でトライアウトを受けていたんです。しかし、仕事をしながら、野球ができる環境を維持していくこは想像以上に困難でした。そこで、前々から興味を持っていたスポーツビジネスを勉強するために、もう一度、海外を目指そうと決意しました。働いて1年半が過ぎた頃、ある募集を目にしたんです。それは、北米の地でインターンをし、スポーツビジネスが学べるというもの。まさに私が望んでいる場所と内容だったので、すぐに応募しました。選考はすべて日本で行われ、書類選考を通過後、英語の面接が行われました。聞いたところによると、競争率も高かったみたいですが、忘れかけていた英語を駆使して必死で話した結果、なんと合格。留学を2回あきらめて、ようやくたどり着いたチャンスでした。
期待の向こう側にあった現実
アメリカのプロ球団がカナダに唯一本拠地を置く、MLBトロント・ブルージェイズ傘下のマイナーリーグ球団バンクーバー・カナディアンズで、1ヶ月半のインターンが始まりました。もともとスポーツビジネスに興味を持ったのは、学生時代のサマーリーグに参加した時でした。チームオーナーの仕事を見て、おもしろいなと感じて。オーナーは、食事や宿泊などの世話はもちろん、地域の子どもを集めて野球教室をして、集めた資金でチームを運営していました。チームからいい選手が出ればプロにいくこともあるし、チームを作って選手支える仕事が魅力的だったんです。それを目指す第一歩として、期待を胸にカナダに行ったのですが……。仕事といえば、いすや看板などの設備修理や掃除ばかり。事前に雑用が多いとは聞いていたのですが、正直ここまでだとは思っていませんでした。しかし、やるべきことは手を抜かず全力を尽くしました。長いようで短かった1ヶ月半が終わり、帰国。それでも、スポーツビジネスがしたい気持ちは変わらなかったですね。そこでワーキンホリデーのビザを取り、オーストラリアに行く計画を立てました。
カナダに戻る決意
そんな時、すでに留学を経験し、野球関係の仕事をしている知人に会いました。オーストラリアに行くことを話すと、彼はこうアドバイスしてくれたんです。「カナダでせっかくつながりができたのだから、もう一度戻ったほうがいいよ。確かに、新しい場所へ飛び出すのもいいけれど、せっかくできたつながりが点のように存在するだけで、線にはならないから」と。もう一度、お世話になったカナディアンズにコンタクトをとってみることにしました。「お金はいらないし、週に2、3日でもいいから、何かやらせてもらえないか」と話したところ「ちょうど、オペレーションのアシスタントを一人雇いたかったんだ。それと、日本人のインターンを採用したいから、そのパイプ役になってほしい」と言ってくれたんです。戻ることが決まると、カナディアンズのスタッフたちも喜んでくれました。今思えば、知人のアドバイスが大きかったですね。それが無ければ、オーストラリアに行っていましたから。最終的に決断し行動するのは自分ですが、周りの人が自分のためにかけてくれる言葉に耳を傾けて、受け入れることも大事だと思いました。
心に決めた道を進むために
カナディアンズでの業務は、シーズン中はスタッフミーティングの参加、設備の点検修理、シーズン以外のイベントのための設営や準備を行いました。業務以外のことで自分にできることはないかと考え、広報のための営業もしました。日系の企業をまわってスポンサーを探したり、バンクーバーで配布されている日本人向けの新聞の中で、広報してもらえるように依頼をしたり。仕事量は多かったですが、自分の進みたい道をしっかり歩き出したので、修行だと思ってどんなことでも頑張るつもりでした。チームの状態が上向きだったので、経営のノウハウも学べ、それは今の仕事にもとても役に立っています。2年半の勤務が終わる頃には、最初は1つだったつながりが、いくつものつながりになっていたのです。
動き出す前に目標を定めよう
海外に行こうとしているのなら、まずは、自分が何をやりたいのかを絞ることが大事だと思います。行ってから決めるのではなく。海外では、日本以上に専門分野や業務内容で細かく職種が分かれています。それを絞った上で、情報収集をして目標を定めて動くほうがいいですね。現地の人でインターンをしている人たちも本気ですから、腹を据えて行かないと勝ち抜くことは難しいでしょう。あと、人の人とのつながり、ネットワークを作っていく行動力も必要です。私は今、カナディアンズの球団社長から紹介をいただき、ニューヨークの飲食店で店長をしていますが、どんな仕事をしていても人のつながりの大切さを実感しています。いずれは野球界に限らず、スポーツの世界には戻りたいと思っていますが、現在の仕事でできたネットワークや、店長としてスタッフを動かすことで得たものは、必ず将来に活かされると思うんです。目標は、サマーリーグの時に会ったチームオーナーのように、球団の運営や、選手が快適にプレーする環境を作っていくことです。
【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)
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