Vol.8 トレーナー留学:弘田 雄士さん
日大鶴ケ丘高校 → 日本大学 → 米トレド大学 → MLBデトロイトタイガース マイナー球団 → 千葉ロッテマリーンズ → TACHIRYUコンディショニングジム
日本大学時代にストレングス&コンディショニングの専門家を目指し留学を決意。卒業後にアメリカの4年制大学に入学し、MLBデトロイト・タイガースマイナー球団(AAA)でインターンを経験。帰国後は千葉ロッテマリーンズのコンディショニング・コーディネーターとして2009年シーズンまで主にファーム担当として活躍する。現在は立花龍司氏が監修するTACHIRYUコンディショニングジムで子どもからプロ選手まで幅広くサポートしている。
_____________________________________________
当時、日本人では珍しくアメリカで経験を積み、千葉ロッテマリーンズのコンディショニング・コーディネーターとしてチームを支えた弘田さん。夢を叶えるためには何が必要なのか、高い競争率を勝ち抜いて、幾度と夢をつかんできた弘田さんの経験と信念を語って頂きました。
_____________________________________________
野球選手ではない新たな道
幼い頃から野球漬けだった私が、野球選手ではない道を進み始めたのは、大学3年生の時でした。コンディショニングコーチを目指すことを決断。この決断に至るまでの私は、このまま野球を続けていてもレギュラーになることが難しいと感じながら、野球選手への未練を断ち切れずにいました。そんな時、ストレングス&コンディショニングの仕事について具体的に調べ始めたのです。どれくらいの知識が必要なのか、どのような人間性が求められているのかについて、情報を集めることにも力を注ぎました。その結果、自分が進むべき道がどんどん明確になっていったことを覚えています。日本のプロ野球チームで、コンディショニングコーチになるという新たな夢を持った時、野球選手への未練から解き放たれ、目標に向かって進み出すことができました。
一度決めたら、まっしぐらです。大学卒業後にはアメリカの大学へ留学しようと、準備を始めました。15年前の当時から、スポーツ医学の進んでいたアメリカでインターンの経験を積みたかったからです。結果的に、日本とアメリカの2つの大学を卒業することになったのですが、遅すぎたとも遠回りだったとも思っていません。決断した時こそが、始めるべき時なのではないかと思います。しかし、走り出した私の前に、大きな壁が立ちふさがりました。「英語」という壁です。留学を決めたものの、ずっと野球ばかりやってきたので、きちんと英語の勉強をしたことがありませんでした。渡米まで残された時間は1年間。できる限り厳しい環境で英語を学ぼうと思い、英語以外使ってはいけない都内の語学学校に通いました。アメリカへ行く前に、英語しか話せないもどかしさやストレスへの抵抗力がついたことは、非常によかったと思います。
まだ見ぬ道を進むために
アメリカの大学選びは、よりチャンスに近づくためにはどうすればよいかという観点で情報収集。日本人の真面目さをよく知っていて、なおかつ、日本人が少ない場所がよいということで、オハイオ州の大学に決めました。そして1番の目標は、MLBデトロイトタイガース傘下AAAトレッドマットヘンズでインターンをすること。同球団のメジャーレベルのチームに木田優夫投手(元日本ハムファイターズ)がいらっしゃったのですが、当時、日本人選手の存在はめずらしいこと。選手でさえもめずらしい時代ですから、日本人のコンディショニングコーチは、なおさらです。誰かが作った道を歩くことは、心強い反面、競争率が高いですよね。それなら、自分で新しい道を作っていけばいい、そんなふうに考えました。
自分なりの方法でアピール
渡米後の2ヶ月間も、まずは語学学校に通いました。大学の授業がスタートする前に、英語の勉強以外で、これだけはやろうと決めて実行したことがあります。それは、私が所属する学部の学部長と先生方への挨拶です。まず、学部長に電話でアポイントを取るための文章を用意し、拙い英語で話したことを覚えています。実際にお会いして、インターンが1番の目的であること、日本に戻って、プロ野球チームのコンディショニングコーチになるのが夢だということを伝えました。こんなことをする学生は今までにいなかったために印象に残ったようで、その後もずっと目をかけて頂きました。そして約3ヶ月かけて、先生方への挨拶回りをしたのですが、学部の授業が始まった時に、先生方が「ユウジ」と私のことを覚えていてくださったのは、本当に嬉しかったですね。
「人の力」とは「準備力」
目標だったインターンは、まず、キャンパス内のトレーニングルームから始まりました。そこでは、すべての運動部の学生と接することができるので、コミュニケーションの取り方を学ぶことができましたし、いろいろなトレーニングの補助を経験したことは、後々にも役に立ちました4年生時からはついに、目標であったトレッドマットヘンズに帯同してのインターンを開始。インターンは簡単にできるわけではないとよく聞きますが、私は「人の力」に、大して差は無いと思っています。目的に向かって準備ができるかどうかで差がつくのではないでしょうか。目標のインターンの席を勝ち取ることができたのは、準備と野球選手を尊敬する気持ちを常に忘れなかったからだと思います。
夢が正夢になった日
アメリカの大学を卒業後は、当初の目標を達成すべく、日本に戻ってプロ野球チームのコンディショニングコーチになることだけを考えていました。そこで、12球団すべてに履歴書を送ったところ、千葉ロッテマリーンズの秋季キャンプに参加できることになりました。今まで遠い存在だった選手が、側にいるのです!感激で胸が震えました。正式採用になって7年間、ロッテのコンディショニング・コーディネーターとして、選手をみてきました。私は「夢は正夢」という栗山英樹さん(日本ハムファイターズ監督)の言葉が大好きなんです。自分のなりたい姿を思い描いて、そこに向かって努力を積み重ねれば、夢も必ず正夢になると信じています。
すべてはゴールから始まる
私にとって留学生活は、異文化の中、自分の夢と課題に向かってひたすら集中できた時間でした。今、留学を視野に入れている皆さんに伝えたいことは、ゴールを決めてからスタートをしなくては意味が無いということです。何かから逃げるために留学を選択しようとしているなら、考え直してほしいと思います。留学があなたの人生を変えてくれるわけではありません。自分を変えてくれるものなんて無い。だから、自分が変わるしかないのです。自分自身がワクワクして向かうことのできる先へ、進んで行ってください。
【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)
« Vol.7 野球留学:藤田 祥平さん | トップページ | Vol.9 マネジメント留学:藤野 哲平さん »
「トレーナー留学」カテゴリの記事
- Vol.24 トレーナー留学:大村 夕香里さん(2020.03.27)
- Vol.21 トレーナー留学:大貫 崇さん(2016.11.28)
- Vol.17 トレーナー留学:大久保 研介さん(2016.02.24)
- Vol.15 トレーナー留学:一原 克裕さん(2015.06.26)
- Vol.14 トレーナー留学:高橋 雄介さん(2015.01.06)