Vol.4 審判留学:井上 公裕さん
神奈川県立百合丘高 → アメリカ・ジム・エバンス審判学校 → ルーキーリーグ審判員 → アドバンスルーキー審判員 → シングルA審判員
高校卒業後、ベースボールの本場アメリカへ審判留学。名門アンパイアアカデミー、ジム・ エバンス審判学校にてノウハウを学び、卒業後マイナーリーグトライアウトに見事合格。その後ルーキーリーグからシングルAまでプロ審判員として活躍し、2009年に帰国。現在は、UDC(Umpire Development Corporation) に所属し、審判技法や審判活動に必要な情報の提供を通して、野球審判の地位向上を目指している。
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憧れが小さな可能性に変わり、プロの審判になることを決意してアメリカの審判学校に留学した井上さん。その可能性を自らの力で大きくし、思い描いた姿を実現。目標達成の経緯と審判という仕事への思いを語って頂きました。
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憧れを憧れのままで終わらせない
小学生の頃から、ジェスチャーで試合を裁く審判の姿がかっこよく、憧れていました。当時からプロの審判になりたいという気持ちがありましたが、プロ野球の審判は元プロ野球選手でなければならないということを聞いていたので、条件的に無理だとずっと思っていました。しかし高校3年生の時、書店でスポーツ関係の就職本を読んでいると、「セ・リーグ、パ・リーグの審判員公募」を発見。公募をしているということは可能性がゼロではない!ここでスイッチが入りました。その場で審判に関連する本を探し「野球審判法」という本に出会い、リサーチを始めました。
開かれたアメリカへの道
スイッチが入ってからは、スムーズに事が進んでいきました。アメリカの審判用具を輸入しているお店に行ったことがきっかけで、それまで一切考えていなかったアメリカ行きが視野に入ってきました。審判学校はアメリカにしかないということや、とにかく審判の技術を向上させるためにはアメリカに行くしかないと心に決めました。それまで海外なんて新婚旅行でも行きたくないと思っていたのに・・・(笑)。高校の野球部を引退した後は、頻繁に審判の講習会に参加しました。そこで見たプロの審判の「ストライクコール」があまりにもかっこよくて、とにかく自分も早くアメリカに行かなくていけない!という気持ちが湧いてきました。そして卒業して2ヶ月後の5月に渡米し、8ヶ月間は大学付属の語学学校で英語を習得した後、ジム・エバンス審判学校へ入学しました。
トライアウトからプロ契約へ
5週間のカリキュラムを終え、アメリカでプロの審判を目指した2005年、ジム・エバンス審判学校では130名を超える生徒の中、25名がマイナーリーグの審判トライアウトに推薦されました。幸運にも私はその25名に選ばれ、もう一つの審判学校から選出された25名と共に、合計50名でマイナーリーグのトライアウトに参加しました。方法は、参加者に順位をつけ、上位にランクされた人から順にプロ契約ができるというものです。結果、私は念願のプロ契約を勝ち取ることができました!
プロとしてデビューを果たした日
デビュー戦はとにかく暑い日で、そのことばかりを思い出します。正直それ以外覚えていないというか…。きっと、無事に試合を終わらせることに必死だったんだと思います。マイナーリーグも時々、メジャーリーグのスタジアムで試合をすることがあります。音楽が流れ選手紹介もされて、球場全体が活気に包まれます。試合開始時にはアメリカ国歌が流れるのですが、それを初めて聴いた瞬間、プロになったんだなと実感しました。
日本とアメリカにおける審判の違い
日本とアメリカでは、審判として求められていることが大きく違います。日本では、ストライクとボール、アウトとセーフを的確に判定することを求められますが、アメリカではリーグ会長の代わりにその試合を任されているという立場で「ゲームコントロール」をすることが大きく求められます。したがって、審判が罵声を浴びせられたらリーグ会長の顔に泥を塗ってしまうことになります。そして選手たちは審判を尊敬し、逆に私たち審判は選手やコーチを尊敬しお互いにプロだと尊重し合っています。もちろんこのことは審判と選手に限られたことではなく、そこで働く人すべてがその道のプロだという考え方、つまりプロフェッショナルマナーが浸透しています。そんな環境で仕事をするのは本当に楽しいですし、誇りに思っています!
審判員によりよい環境を
メジャーリーグには、メディカルコーディネーターという審判専属のトレーナーが存在します。2011年からマイナーリーグにも付くようになりましたが、今後、日本でもそのような役割をする人が必要だと思います。必ずしもアメリカと同じシステムでなくてもいいのですが、プロ、アマを問わず審判の身体を守り、環境を整えていくことが今後の日本野球審判界の課題であり目標だと思っています。また、現在はジム・エバンス審判学校と提携し、野球審判をトレーニングすることを目的としたUDC(Umpire Development Corp.)でアンパイアクリニック、審判員の派遣、少年野球のルール・マナー講習会などの活動を行っています。今後はさらに活動の場を広げていこうと考えています。
何ものにも代えがたい審判の魅力
審判のジャッジが選手の成績や結果に大きな影響を及ぼし、時には野球人生を左右することもあります。試合前、特に球審をする時は、どの審判もプレッシャーを感じますし緊張もします。しかし試合が終わり張り詰めたものから開放された時の充実感は、言葉では表現できません。選手として体験するものとは違うこの快感に、審判をやっている人は皆やみつきになります!
可能性がある限り夢は消えない
審判を目指す選手の皆さんには、今は中学、高校でできる野球を思いっきり楽しんでほしいと思います。審判の勉強を始めるのは高校を卒業してからでも十分間に合います。進路を決めようとしている選手、悩んでいる選手の皆さんに伝えたいことは、自分の一番やりたいことをやってほしいということです。もちろん家族の反対や経済面でいくつかの壁があるかもしれませんが、本当に可能性がゼロなのか、小さい可能性もないのか考えてみてほしいと思います。私自身ケガで審判を引退することになりましたが、アメリカで審判を始めたことを全く後悔はしていません。よい経験ができたと思っていますし、本当に自分がやりたいことを思いっきりすることができれば、後悔することなどないと思います。今は自分のやりたいことができる時代ですから、どんなに小さくても可能性があるのなら、それに賭けてみるのも悪くないですよ!
【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)
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